‘2011/10’ カテゴリーのアーカイブ

「ハングリーでありつづけろ。愚かでありつづけろ」

2011/10/07

「いちばんたいせつなことは、あなたの心と直感に従う勇気をもつことです。あなたの心と直感はなぜか、あなたがほんとうになりたいのがなんであるかを知っているからです」

スティーブ・ジョブスが亡くなった。新聞もテレビも大きくとりあげている。

パソコンを使い始めたはボランティアの事務局をしているときだった。データを打ち込んだり、簡単な書類を作ったりした。おおきな箱形のパソコンだった。機種はマッキントッシュ。一年に何度か秋田の牧師さんが(めっぽうパソコンに強い)来て、パソコンのバックアップをしてくれたり分らないことを教えてくれた。嗚呼、思い出した。その若い牧師さんはじゃじゃ麺が好きで、昼になると「ぼく、じゃじゃ麺食べてきますから」と飛び出して行ったっけ。もう20年も前のこと。

そのあとはウインドウズをつかって、アップルのPCを使い始めたのは10年ぐらい前。写真家の細川さんに「マックすごくいいよ!」と薦められた。今マック2代目、買い替えるときまたウインドウズにしようか迷ったけど、結局マックにした。アップルマークと離れられなかったのと、機械が分らなくてもなんとなくな感覚でなんとなく操作が可能だということがマック好きになってしまった。

昨夜はノーベル文学賞の発表の日でもあった。村上春樹は今回ものがしたけど、ちかい将来きっと穫るのだとおもう。そのときこそ、村上春樹はすごく困った顔で(はにかみながら)大衆の前に顔を現すかもしれない。そして生の声で言葉を発してくれるだろう。その声の音色を聴いてみたい。

みなさんは村上春樹の「遠い太鼓」(ずいぶん前の本ですが)という本を読まれましたか? わたしはこの本にとても惹かれました。村上春樹という人にじかに触れているような、すぐ側にいて、親密な話をしているような感覚になるからです。そういう感覚ってなかなかないですよね。だからかな、村上ファンが世界中にいるのは。 あなたは、村上春樹、好きですか?

きょうは天気はいいんだけど,風がびゅうびゅうごーごーと音をたてて吹き捲くっています。きょうも一日よい日でありますように。

ブルーライト・ヨコハマ

2011/10/05

ラジオからいしだあゆみのブルーライト・ヨコハマが流れている。この曲が流れると修学旅行を思い出す。あの頃は流れてくる歌謡曲を全部諳んじていた。そして都会にあこがれていた。

 

内田(樹)先生のツイッターを見たらジュリークラブ(?)が道後温泉ツアーを企画。温泉に入って内田先生の講演を聞き、宴会をするそうだ。11月29日、まだ少し空席があるらしい。

「行きたい、行きたい。行きたい!」けど姑がいるシ。ご飯を食べさせてお風呂にいれて・・・。あ〜あ、ちょうど舅の一周忌も終える頃だから、介護ご苦労さんで行かせてもらってもいいと思うんだけど。

 

なんだろ、この自由のなさは。先日もしばらく家を出られなかったので、夫の出張を幸いに2週つづきで、2日ほど家をあけたら、さんざんだった。なにがさんざんだったって? ま、それを言ったらおしまいよ。

 

今時嫁が外に出ちゃいけないなんて通用しないと思うけど、この辺は違うんだわね。若い人がいないのかなと思っていたら、いるんですよ。家の中にこもって親(舅姑)の面倒を見ているんです。今、町内会の班長だから広報も持って回してるんだけど、半年も回っているうちに少しずつ話をするようになってわかってきたのですよ。みんな親の面倒でみてて、疲れきってて、あきらめきってて、それが現実なんですね。

 

わたしもときどきぞっとする。これがまだまだ何年もつづけば、ものを言う意欲もそがれ、うつうつとなんの希望もなく暮らすのだろうなと。

 

せっかくの人生なのに。それってすごく理不尽じゃん。そう思いませんか?

男でも女でも、抵抗できない力でがっぽり押さえ込まれるのって、いやだなあ。実家の母も93歳で長男夫婦の世話になってるし、でも、だれかにしわよせがいくのって、やっぱり変。子育て終わってやれやれこれから自分の人生をと思うよね。ふつー。でもどわっと親の世話がくるんだよね。もちろん介護サービスできるだけ利用してるんだけど。わたしはもうずうっと昔から、子どもの邪魔をしないって決めてんの。(意識としては)自分で自分のことができなくなったら、点滴なんかしないでねって。念をおしてるし。

今日は友だちからのうれしーい手紙を書こうとおもったのに、寄り道しちゃったわいわい。

崖っぷちの松茸さん

2011/10/02

 

マドンナから再三の誘いで、ついに重い腰をあげる。なんとあろうことか、

松茸採りなのである。半世紀以上生きて栗拾いならいざしらず、一度も松茸とりをしようなどと思ったことも、夢見たこともない。

「あのねえ、素人には無理だって。名人だって今年はぜんぜん採れないといってんのに・・」となんどさとしても、マドンナの意欲は消沈するどころか燃え盛るのみ。

「だって、ある場所、聞いたんだよ。道路から200メートルもすればあるんだよ。うちの山だよ。行こうよ、行こうよ。」

まるで熱にうかされたようにいうので、これはしょうがない付き合うしかないと、でかけたのだ。いつもわたしのわがままにも付き合ってもらってるしね。

場所はちと言えないけど、道路脇の崖ぶち。眼下は壮大な海。柵をまたいで薮に入る。なんと足場20センチの崖っぷちを草にしがみつきながらむこうに見える赤松の場所まで渡る。見下ろせば真っ青な海。「うえっ! こんなところを行くの」とびびるわたしを尻目に、マドンナはすいすいと草をなぎ倒して恐がりもせず渡って行く。落ちたら這い上がってこれないないぞと思いながら必死でついて行く。

赤松がはえ、栗や楓やらが数本たちならぶ断崖絶壁の一角。そそり立った崖っぷちゆえか、樹木は密集していない。日差しもそそぎ風通しも悪くない。30メートル下は真っ青な海で、荒波のドドーンという音が繰り返している。

どれどれと足元を見るがきのこの一本はえていない。腐葉土の積もった土をちょこっといじってみるがきのこらしきものは見えない。こんな道路際で松茸があるわけがない、とこっちはまったくあきらめモードで、崖下の恐ろしさに足がもう進まない。

けれどマドンナはぐんぐんと崖をよじのぼり、ついに姿が見えなくなった。付いていくのをあきらめ、しばし眼下の海を見ながら風にあたる。この波の音、はじめて聞く音だ。

前浜で聴いていた波の音は、広い砂浜に打ち寄せるザッボーン・ザッボーンという音だが、ここはドドーン・ドド―ンと豪快な音がする。海は大きい。海は生きている。その広大な海の世界に星の数ほどの魚たちがいて貝がいて様々な生き物たちがいる。「いのち」の宝庫。そこに何でもかんでも流していいはずがないではないか。ましてや放射能なんて。とてもとても理解できない。

昔むかしはるか太古の時代に生物は海の中で生まれました。昔むかし、私たちの祖先は海を母として誕生しました。その母なる海に放射能を流すなんて、なんとむごいことを考えるのだろう。とおい未来のことを考えたらそんなことできるはずがないのに。

 

「おーい!」と、声をかける。

ごそごそと上のほうで音がして、マドンナが姿をあらわす。

「なんにもないよ〜」

ついに観念したようだ。それにしてもいつもさばさばしているマドンナが、なぜか松茸には執着しごくなのが、おもしろい。いつもは、わたしのしつこさがやり玉に上がるのだが、人によっては執着するものがぜんぜん違うのだなと、おかしくなる。

(カメラが壊れました。しばらくカメラなしの生活をしてみます。写真は数えきれないぐらいあるので、それをアップしていきます)

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