最近読んだ本で、村上春樹の「サラダ好きのライオン」の中の(愛は消えても)というページに親切と親切心についての一文がある。ある一人の男が飛行機事故にあい、自分の身の危険にもかかわらず女性たちに「お先にどうぞ!」と救助の順番をゆずり、自分だけ命絶えたというお話。
その男性はのちに英雄として讃えられたというが、それは英雄的というより「親切心」の問題だったのではないか。自分がどれほど衰弱していても、隣に女性がいるとつい「お先にどうぞ」と言ってしまう日常的、習慣的な云々とある。
この文がどうも気になっていて、ワタシもこの部類だなと、頭のどこかで思っているらしい。ついついやってしまうあれやこれや。自分こそあっぷあっぷしてるのに、求められてもいないのについ親切心が強すぎて人がやりもしないことをバカみたいにやってしまう。困ったもんだとホントに思う。それなりの力量のある人がやるなら何の問題もないのだが、それもないのにだから、おぼれるのは自分だけってことになるのかも知れない。まだ、溺死には至ってないけど。これはまずいぞって、村上さんの本はいつもいろいろと示唆をくれる。
さて、もう一方の向田邦子の「手袋をさがす」。これはPHP9月増刊号のアーカイブスに載っていたエッセイ。これにも痛く承服した。
「二十二歳の時だったと思いますが、私はひと冬を手袋なしですごしたことがあります。」で始まる回想記だが、向田邦子の神髄がここから始まったことがよくわかる名文。ワタシが何に感心したかというと、向田邦子の「ないものねだりのたかのぞみ」が、「直さないと一生後悔するぞ」と上司に忠告され、その晩、電車に乗らず納得がゆく答えが出るまで歩こうと決め、結局そのイヤな性格ととことんつきあってみようと決めたくだり、圧巻である。
ないものねだりのたかのぞみ、困ったものだが直らない。箍んだ枝は箍んだままに精神の分母にしてやれと居直る向田の強さ。すごいなあ!と思う。その不屈の強さはワタシにはないけれど、子どものときに否応なく身についたあれやこれやは大切にしようと思ったんですね。
村上春樹の「親切心」と向田邦子の「ないものねだりのたかのぞみ」の淡いのなかで、いつまでも淡いの中にはいられないとおもう今日この頃。なにしろ、生はあといくらあるのかわかんないし。まあ、方言でいうとちゃっちゃっとしろやというところだけど。でも、のろまだし!天然のとろさだし!でもでも、それゆえ見える景色もある。