かぼちゃくん
2011/08/30かぼちゃくんが、畠を占領し、隣のフェンスをはいのぼって、あっちこっちに
ぽっこり、ぽっこり、かぼっちゃをならしてるんですよ。
それが、しろいかぼちゃと、緑のかぼちゃくんで、はいのぼったフェンスの上で、ついに手をつなぎました。おそるべし、かぼちゃくん。
右からのびたかぼちゃくん。
左から這い上がったかぼちゃくん。
きょうの朝ついに、のびた手がつながった。
さて、きのうは野田村役場に義援金を届けました。
祭りのイベントで、著書「リンダリンだがとまらない」「どんぐりだんご」「ほしがき」の本と、急遽作ったポストカードを販売。善意あるやさしい方々が買ってくれた全額を図書館再建に役立ててもらおうと思ったのです。(ほんとはとっても苦手で、だまって家にいるほうが好きなんだけど、意を決して、がんばったのです)
がんばったかいがあってというか、やさしい方々のおかげで本数冊とポストカード40枚ほどが売れ、ささやかな金額に自分の小遣いをたして義援金としました。
これまで物資を届けたり、仕分けのボランティアに行ったりで、しつこくお世話になった役場の小谷地さん、いやな顔もせずにいつもにこやかに対応してくれて、どんなに助かったかしれません。本当にありがとうございました。
これで、まずは、ひとつの区切りとします。
思えば10年のボランティア歴をもつわたしですが(忘れてて今思いだした)心のケアの良い面も悪い面も、またボランティアの傲慢と偽善も、ちっとは味わいつくしたものとして、被災地への支援は慎重にならざるえませんでした。それでも、自分の生まれた村がことごとく奪い去られた光景を前に、なにもしないわけにはいきませんでした。それがさしさわりのない仕分けボランティアとなったのです。もっとできることもあったのかもしれませんが、それがいいのかわるいのかの判断は、ひじょうにむずかしく単純にはきめられません。これをやった、あれをやったで、パチパチというわけにはいかないと、わたしは思っています。
毎日新聞に「放射能とケガレ」として、精神科医の斉藤環氏が京都の送り火の一連の松をめぐる騒動に、このように苦言を呈しています。「被災地の「こころ」にかかわるものには、善意を発揮した「責任」が生ずる。覚悟と根気なしに「こころ」にかかわるべきではない。後腐れのない善意を発揮したい人たち向けには、「義援金」という方法がある。」としている。(くわしくは新聞読んでね)
祭りのなか、ご主人をなくされたまだ若い婦人に会いました。小さな額に入れた写真を肌身離さず持ち歩いていました。まだ、悲しみからぬけだしていない目をしていました。その後ろ姿をおいながら、ふと、これから先の生計は・・・、と心配がよぎりました。
働く場所がない田舎。農業で機械のように、めっちゃくっちゃに働いても生計の10分の1にもならない田舎。個人の自助努力がアワとなる田舎。働く場所があって生計がたつ賃金がもらえたら、希望の光りもすこしは見えてくるのに。
田舎に光りをあててください。どんな人でも、人間らしい暮らしが成り立つように。社会のシステムの中に過疎の村を忘れずに組み入れてください。
とまあ、そんなことをいっても、どこにもとどかないのよね。でも、あきらめずにそう祈るしかない。
話はもどって、そんなこんなで、ことしの豆つぶ畠はかぼちゃくんの好き放題になっています。いったいいくつのかぼちゃくんができるのか、とんとお楽しみに。