夕暮れの「いのち」
夕暮れ、庭にでる。風が気持ちいい。その日も、庭をふらふらしていた。ふとかがんだ調子にセミのさなぎを見つけた。ぬけがらだろうと触ると、みっちりとした感触。
はて? 虫好きなのに、わからない? 家人を呼ぶ。いまから脱皮するのだという。
あたりは、うっすらと紫色にそまってきている。このまま持っていって家の中で見ればいいと。以外な言葉に、罪悪感よりも興味のほうがまさる。
テラスで夕涼みをしていたおばあちゃんが、「わらすのどき、朝起きればセミをとりに行ぐっけ」という。そうか、むかしのガキ大将はセミの専門家なのだ。
ご飯の仕度もそぞろにいまかいまかと脱皮を待つ。その3時間あまりの時間は神様からの贈り物のように、かけがえのないものだった。
「生まれる」
それは、どんなものよりも やわらか
それは どんな色よりも 新鮮
それは 言葉をなくした感動
それは 神様だけが知っている「ふしぎ」
それは いのち ただひとつの・・
これから1時間余りかかって羽が透き通ってくる
あぶらぜみでした。すぐ、もとの場所にかえしました。
せみさん、すみませんでした。ありがとう!
2011/08/12 at 8:06 PM
こんばんは。
セミの脱皮を見ることができたのは、とてもラッキーなことですね。
私も、子供の頃は、裏のお寺の山で、オニヤンマをとったり、アゲハ蝶をとったり、蝉取りに夢中に成ったものですが、今は、そんなことをしている子供たちの姿を見かけることはなくなってしまいました。
今の世の人のありようがおかしくなってきていることを象徴的に表している減少かもしれませんね。
それにしても、今日も暑かったですね。早くこいこい「ヤマセ君!」の気持ちです(笑い)。
2011/08/13 at 12:32 AM
こんばんは!
セミの脱皮はじめてみました。その色のみごとにきれいなさまは、すべての子どもたちに見せたいですね。
「いのち」を大切にと100回いうより、身近な虫の誕生を見せる、そういう教育があればいいなとおもいます。
Bsフジ「beポンキッキーズ」で論語をやっているようです。10日、応援プロジェクトでわたしの詩「みんながおおきくみえるひ」が朗読されました。遅ればせで、すみません!