被災地の今3 片付けに

ゴミの山が

おだやかな朝です。気温がだいぶ緩んできました。

きょうも知人宅へ。

一階はみるも無惨な泥だらけ。とにかく目につくものから、泥をおとし、水で洗う。その繰り返しの連続。

茶碗、鍋、ビン類、花瓶、ショーケース・・・。

一日かかっても、ほんのワンコーナーしかできない。

ふとエンデのモモの中の掃除夫を思い出す。「掃いても、掃いても先が見えない。だから目の前のことだけに集中するんだ・・・・」そんなことをいっていたなあ。

玄関前にはまだ、うずたかい泥とゴミの山。

家の前の道路を、ボランティアの人たちが通っていく。

遠くから来た人には、遠い土地の風がまといついている。この村にはない風のにおいがする。動作も歩くリズムも。

ふだんならちょっと声をかけて、「どこから来たの?」と訊いてみたいところだが、とにかく目の前の仕事を。手を手を動かし、泥と泥を洗い落とす。

本町

昼、役場前では、黒石やきそばとポトフがふるまわれたという。

私はお昼を家の者に用意するために、小一時間ばかり家に戻る。Tさん夫妻は、いただいたようで、「おいしかったよ!」とにっこり笑う。ちなみに、前日は久慈市山形町の「べこ汁」がふるまわれたそうだ。支援は物資だけでなく、人がもっともほっくりする「おいしくあったかい食べ物」へと、ひろがっているようだ。

この日、Tさんの家の写真をどうしても撮ることはできなかった。さしさわりのない形で撮れないことはなかったが、何かがつよく作用する。親戚の家も、Yさんの家も同じだった。

個々の家にカメラを向けるのは胸が痛む。船は町のど真ん中まできていた。

家解体OK

いつかどこかでなにかがあったとき、

わたしもわたしにできる小さなを善意を、お返ししよう。

忘れることなく。

クリームパン支援物資のクリームパンをもらう

コメント / トラックバック 2 件

  1. 宗春 より:

     毎日お疲れ様です。昨日日帰りで おばばを久慈病院に連れて行き、そのあと野田の家にも行って来ました。病院が長引いて時間が無くなった為、家の状態(仏壇、電気、ガス、ストーブ、トイレなど)をチェックするだけの滞在で、貴女の処にも実家にも寄らず慌ただしく帰ってきました。国道から新山に向かうみちみちの、うず高く積まれた瓦礫の山やら、漂着物の残っているたんぼ。それだけでも生々しくて……。とても切なくなりました。被災した人たちのことを思わずにはいれません。4月中旬あたりから野田に帰るようになるかとおもいます。

  2. 京コ より:

    そちらこそ、お疲れさま! 無事の運転なによりです。わたしは大丈夫ですよ。息抜きしながらやってますから。もう、三週間なのですね。もう少ししたらじょじょに自分の時間に戻ります。そちらも無理のないように。

コメントをどうぞ

検索
コメントの書き方
コメントの書き方がわからない時は
こちらをご覧下さい。