追想

あれから3年。せっかく生き延びた命なのに、最近人がよく死ぬと被災地の人がなげく。

親戚の子は間一髪で目の前の家の2階に駆け上がり九死に一生を得た。そのときの恐怖たるやいかばかりか。病気などするような子でないのに、なぜか病気になった。見舞いにいくと、今日は元気だといって、当時の話をぽつりぽつりと事細かに話す。

波に追われ目の前の家に飛び込み、逃げずにいた老夫婦といっしょに2階に駆け上った。上がったと同時に波が階下をすざまじい音をたてて突き抜けていった。外を見るとあたりは一面海になっていた。車が浮いて、はい出してきた人が屋根の上に逃れ、むこうにはずぶねれになった人が柱にしがみついて助けを求めていた。家や建物がこつ然と消えてあたりは海、その恐怖。

たんに助かっただけではないのだ。言葉にできない、言うにいえないすざまじい恐怖がとぐろを巻いて長くうずまいていたのだろう。もっと細心の注意をむけて、冷たくなったこころを暖めてやればよかったと悔やむ。

村上春樹の短編にこんな一節があった。

「しかしなによりも怖いのは、その恐怖に背中を向け、目を閉じてしまうことです。そうすることによって、私たちは自分の中にあるいちばん重要なものを、何かに譲り渡してしまうことになります。私の場合には――それは波でした」「めくらやなぎと眠る女」の中の「7番目の男」から。

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