10/11・7ヶ月めの黙祷

 

もう7ヶ月が過ぎたのだ。

この日わたしは午後のあの時間に、あの場所へ行こうと決めていた。

そして失ったものの残像を追ってみようと思っていた。

 

お昼、マドンナに「お昼食べてって」と声をかけて、家人を待たずに少しはやい昼食を二人で食べた。

今年、庭の「かっくい」はだめだったが、舞茸がなった。夫の努力のかいがあってというか、いとこの先導の賜物といおうか、すこし貧弱ではあるが舞茸の天ぷらと松茸ご飯(前日の残り)と、舞茸でお出汁たっぷりの天ぷらそばをふたりで食べる。

 

家人にお昼をだし、1時すぎ、野田村へむかう。宇部から野田にむかう一本道の右側に瓦礫置き場がマンモスのように横たわっている。作業員が少しずつ片付けを始めている。

 

バイパスから旭町に出る道におりる。いつも通っていた前浜に行く道。

見渡す限りの草原。みな赤茶色にそまっている。その向こう役場が見える。岩手銀行の建物が見える。赤い鳥居。その先に緑の小高いお山、あれは愛宕山。そこに村を見守るように愛宕神社がある。

 

前浜から旭町、本町、横町、前田小路、門前小路、北区。その日、人々は半信半疑で愛宕山にのぼったという。ぞろぞろと、みんなが逃げ始めたから、おらも行ったのさ、まさが、あんな津波がくるどはおもわながった、と村の人々はいう。それで波にのまれずにすんだ人々がどれぐらいいたのか。もしあの津波が真夜中だったら、人的被害はもっと増していただろう。

 

バイパスを下りて前浜に続く道は土嚢が積み上げられ、一歩も入ることができない。えんえんと続いていた松林の残骸を土建屋さんのトラックがはいり、片付作業が始まっている。

 

バイパスを下りて右側に同級生が働いていた修理工場があった。道の両側は家が立ち並んでいた。真新しい家も数多くあった。この先には中学の同級生の家々もあり、「ここがしいちゃんの家、ここが岡本君の家と、一歩一歩確かめながら歩く。コンクリートの土台がわずかに残る以外は赤茶けた枯れ草が寂しげに風に揺れている。

家のない町並みは、なんと物悲しいのだろう。

旭町にでたところで、バイクのおじさんがやはりふらりふらりしている。自転車のおじさんもふらりふらりしている。

本町に出て前田小路につづく道路からおばさんがふたりやってきた。よく見ると、親戚のTさんと顔見知りのKさんだ。ぶらっと散歩に来たという。むこうからも二人連れの女性が来る。みな、あの日を思い起こし、足がこの地に向かうのだろう。

 

家跡の庭先に真っ黒な実をつけたものがあった。なんだろうとよく見るとそれはミニトマトだった。津波の残骸がこの小さないのちにも、毒々しく、息づいている。

写真は2010年11月12日撮影。

まだ、カメラなしの生活です。カメラなしもなかなかいいものです。ただ黒いトマトは撮らなきゃというおもいにかられました。

 

 

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