‘2011/11’ カテゴリーのアーカイブ

内田樹吠える

2011/11/10

「グローバル人材」とか「キャリア教育」とか「教育投資」とか「自分の付加価値を高めろ」とかいう人間を信じるな。
そいつらは君たちを「英語がしゃべれて、ネットが使えて、コミュニケーション能力があって、一日15時間働ける体力があって、そして十分に規格化されているのでいくらでも換えが効く人材(つまり、最低の労働条件で雇用できる人材)」に仕立てることで、最低の人件費コストで最大の収益を上げることを求めてそう言っているわけであって、君たちの知性的・感性的成熟には何の関心もないのだ。

TPPが大詰めをむかえ騒然としているなかで、内田樹先生はどうされているのかとブログをのぞいたら、中学生1000人にむけて熱く講演してました。パチパチパチ!!

きのうは、マドンナを手伝わなくちゃと午後の二時間ばかり野田村図書整理へ。ブッカー貼りならお手のもんだとひと肌ぬごうと思ったんだけど、なんとマドンナのほうが上手だったんでびっくり!! 手作り絵本歴とその後の宇部郵便局に置いた文庫(2000冊)のカバー掛けで、自信あったんだけど、自分がこんなにもいい加減だとは・・(人間は変わるのだ)の一コマでした。

あっぱれ、マドンナ見直しましたぞ! そこで、マドンナにこうのたもうたのですよね。「わたしね、風邪ひいて寝込んで人生観変わった。もう夜パソコンしないことにした」と頼もしく言ったのは、ああなんと昨日のことでした。なのになんで夜パソコンいじってんだろう?

実はきのう、今日、はては二週間ほど前から和ダンスの整理にかかっていて、お天気がいいもんだから、タンス3つ分のきものを虫干ししてるわけ。それがそれが大変なことでなにしろ、結婚以来ほとんど開けた事がないもんだから、(だいたい想像つくでしょ)ほんとに大変なの。

しつけのかかったままの着物の上に、さらにお姑様の着物がびっちり入っていて、手を通したものも手を通してないものも、風をあてて息を吹き返してもらわなきゃという訳なんです。ふー、たいへん!!

それで、きのうときょうは、まったく仕事できなくてつまりパソコンにむかってなくて、それはそれでなんか落とし物をしたみたいで、ゴミ出しをしてふらっと二階にあがってパソコンをひらいたのですよ。ああ、こんなに意志薄弱だとは知らなかった。自分で自分が信じられない。でもきっとわたしの回りのココロ優しき人たちは、よーくお見通しなんでしょう。ヤッポー!

だんだん肩の力がぬけて、もぬけちゃんになりそうです。そうなったらなったで、人生おもしろいかもね。いやはや、こまったもんですね!

 

震災が残したもの

2011/11/08

 

きのう、花巻のモッチンに電話したら連れの0さんが出て「今、大槌町に向かって走っている」という。なんとその大槌に行くにはどこをどう走ればいいのかを訊きたかったのだ。そう伝えると電波はバババーと飛んでたち切れ。何度かかけ直すが、二言三言ですぐ切れる。そうしているうちに大槌についたらしくこれからきりきりの小学校や図書館や仮設の集会場を回って本を届けるのだという。さすが、もっちん。えらいなあ! 震災から変わらずに被災地を回って、あれやこれやと可能な限りの支援をつづけているお二人)

 

野田村にも、つい数週間前、えほんプロジェクトの人たちがきて、かぎられた時間内に本の整理を、それはそれはものすごい勢いでしてくれた。ぎりぎりまでねばった末、山のようにあった本の段ボール箱はみごとに整理され、終わるやいなや疾風のように帰っていった。その一週間ほど前、図書の現状をからまつ文庫のNさんに伝えると、「じゃあ、行くわ!」と、長距離なんか走ったこともないのに3時間かけてやってきてくれた。実はひょんなことから本の整理を頼まれたマドンナがひとり悪戦苦闘していたのだ。Nさんはマドンナにいろいろなアドバイスをして帰った。それをかかわっている絵本プロジェクトの人たちに伝え、何かできることはないかとやって来てくれたSさんたち。(絵本にかかわる人たちはみな笑顔が素敵な、前向きな人たち)

絵本は全国各地からものすごい数が集まり、もちろん重複している本も多数で、図書にはどうも?という本も数多いのだが、それにしてもこれだけの本が集まったのだからそれを生かして県北沿岸の児童書のメッカとなるような図書作りをしたらいいと私は思う。それが、全国から集まってくれた本への恩返しにもなるんじゃないかしら。

                村の中心地 この場所に現在仮設店舗建設中

久慈に来て、図書館を巡ってみて、その本の乏しさと熱意のなさにはほとほとあきれかえっていた。本は貧しさを満たすわけではないが貧しさがどこからきているかの手がかりぐらいにはなる。そしてまた何が大切で何を希望としていくかの灯火にはなる。そんなことをいうと白い目で見られるが、これからを生きる子どもたちと若き親たちには、声を大にして本を読めと伝えたい。

突然話しは変わるが、昨夜のニュースで野田村復興計画ができたと報じていた。高台移転。浸水した土地の国の買い上げ。その土地を公園化することなどを伝えていた。もし、公園にするのなら、ありきたりのつまらない公園ではなく、ここは叡智を結集して革新的な未来に通ずるものを創って欲しい。もしそれが自分たちでできないのなら、ここまで支援してくれた外部の力を借りる、そんな選択肢もあるのよね。

        手前が壊れた三鉄の線路跡、いよいよ三鉄の復旧も始まった

港の復興を願って

2011/11/02

11月の詩は、海で生きる漁業の人たちへ、再生を願って書いた詩です。HPトップ画面の写真は、8月の野田港に浮かんだ2艘の船。

壊れた港にはなにもなく、漁師のひとりが地べたに座って破れた網をもくもくと編んでいました。浜の女がふたり海をみながら座り込んでいて、船がないとなにもできないと嘆いていました。秋がきたというのに、船はまだまだ港に浮かびません。

   北のみなと

     —復興試案6

久慈湊から少し南下すると

北限の海女で有名な小袖があります

小袖には漁船が100艘ばかりあって

一艘のこしてみんな津波がもっていった

小袖からさらに南下すると久喜があります

久喜には85艘の船があって

8艘のこしてみんな津波がもっていった

久喜からさらに南下すると野田の港があります

南の波と北の波が跳ねて返って野田港はこっぱみじん

船は一艘のこったと聴くが

船も買えないと浜の女が泣いていた

ホタテもウニも天下一品なのに

男は黙し

ぽつねんと壊れた網を繕う

波の音

波の音

幾千の

波の音

どこかじゃ億の金が湯水のごとく流れるという

不思議の国の

じゃぽーん じゃぽーん

 

野田の港には震災前230艘弱の船があり、3.11の津波でほとんどが流され、助かったのは10艘なかったといいます。

その後のニュースで北海道から船が久慈に百何艘か送られたと報じられたので、少しばかりほっとしていたのですが、つい最近港の人の話をきき現実の厳しさに唖然としました。船はまだまだ一割にも満たず、何艘かの船で、みんなで乗り合って漁をしているとききます。だまっていると知らない厳しい現実。それでももくもくと黙して働く漁師の人たち。その姿にわたしは魂をゆさぶられます。

三陸沖は世界でも有数の魚の宝庫。その海は三陸の誇りです。海を汚してはいけないし、海を甘くみてもいけない。そして海で生きる人たちを、忘れてはいけない。これから冬のアワビ漁に入るという。がんばれ漁師さん。がんばれ三陸の港。みなさん、応援してくださいね!

私はやっと風邪から脱出できました。ご心配かけました。(心配してなかった?)長かったけど、全快で〜す!

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