‘絵本を胸に本を手に’ カテゴリーのアーカイブ

買い物の道

2012/10/11

「ままこのしりぬぐい」

こんなにきれいなのに、どうしてこんな名前なの?

秋晴れ、ぶらぶら川原ぞいを歩いて買い物に行きます。

川原のわきは、畑です。

とりのこしのゆうがおです。

食用菊が、おいしい秋です!

つい、そばによって、パチリ!

秋のにおいがぷ〜んとします。

畑の中で咲くコスモス。

田園には野菜たちにまじって、あちらこちらに花畑があります。

素敵です!!

きょうは、ノーベル文学賞の発表かな?

村上春樹の「もし僕らのことばがウイスキーであったなら」、きのう本屋にいってまだ読んでなかった本をみつけました。ラッキーです。ではまた。

 

村上春樹の「親切心」と向田邦子の「手袋をさがす」の淡い

2012/09/15

最近読んだ本で、村上春樹の「サラダ好きのライオン」の中の(愛は消えても)というページに親切と親切心についての一文がある。ある一人の男が飛行機事故にあい、自分の身の危険にもかかわらず女性たちに「お先にどうぞ!」と救助の順番をゆずり、自分だけ命絶えたというお話。

その男性はのちに英雄として讃えられたというが、それは英雄的というより「親切心」の問題だったのではないか。自分がどれほど衰弱していても、隣に女性がいるとつい「お先にどうぞ」と言ってしまう日常的、習慣的な云々とある。

この文がどうも気になっていて、ワタシもこの部類だなと、頭のどこかで思っているらしい。ついついやってしまうあれやこれや。自分こそあっぷあっぷしてるのに、求められてもいないのについ親切心が強すぎて人がやりもしないことをバカみたいにやってしまう。困ったもんだとホントに思う。それなりの力量のある人がやるなら何の問題もないのだが、それもないのにだから、おぼれるのは自分だけってことになるのかも知れない。まだ、溺死には至ってないけど。これはまずいぞって、村上さんの本はいつもいろいろと示唆をくれる。

さて、もう一方の向田邦子の「手袋をさがす」。これはPHP9月増刊号のアーカイブスに載っていたエッセイ。これにも痛く承服した。

「二十二歳の時だったと思いますが、私はひと冬を手袋なしですごしたことがあります。」で始まる回想記だが、向田邦子の神髄がここから始まったことがよくわかる名文。ワタシが何に感心したかというと、向田邦子の「ないものねだりのたかのぞみ」が、「直さないと一生後悔するぞ」と上司に忠告され、その晩、電車に乗らず納得がゆく答えが出るまで歩こうと決め、結局そのイヤな性格ととことんつきあってみようと決めたくだり、圧巻である。

ないものねだりのたかのぞみ、困ったものだが直らない。箍んだ枝は箍んだままに精神の分母にしてやれと居直る向田の強さ。すごいなあ!と思う。その不屈の強さはワタシにはないけれど、子どものときに否応なく身についたあれやこれやは大切にしようと思ったんですね。

村上春樹の「親切心」と向田邦子の「ないものねだりのたかのぞみ」の淡いのなかで、いつまでも淡いの中にはいられないとおもう今日この頃。なにしろ、生はあといくらあるのかわかんないし。まあ、方言でいうとちゃっちゃっとしろやというところだけど。でも、のろまだし!天然のとろさだし!でもでも、それゆえ見える景色もある。

ある日の一日

2012/08/19

8月18日/ 曇りのちときどき晴れ/気温25度

裏庭にしどけの花がひっそりと咲いていた。

いとこのチハルちゃんが漁の帰りだと言って、大きなサバとイカを置いていった。

サバは、きれいに3枚におろしてある。

「気がきぐべ!」とにやり。

八戸港の帰りだという。去年の夏もひょいと寄ってひょいと魚を置いていった。

震災後、海は変わったというが、そんなことを微塵にも出さず、海の男はきっぷがいい。

昼ちかくなって、晴れてきた。思い定めて三日目の梅干しの干し。

午後、買い物。本屋に寄る。

学研から出た「10分で読める 音読2年生」を2冊注文。最後の1冊を養護学校の先生をしている姪っ子にあげてしまった。

いつものようにじっくりと最新の本のチェック。

おっと、村上春樹あった!

出たなら出たといってよね。指折り数えてまってんだからさ。などとごねなだら、一年ぶりの新刊にほっぺがゆるむ。

そしてもう昨夜のうちに読んじゃったのよね。

 

庭のズッキーニが大きくなったので、トマトと茄子と鶏肉で洋風に。

 

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