‘ポエムなう’ カテゴリーのアーカイブ

たむけの花火

2011/08/12

たむけの花火

    —月夜のそらに 花火があがる

ドン

ドン

ドン

ドドン ドン ドンドドン

ドンドンドンドンドンドン ドッパ〜ン

シュシュシュシュシュシュ

シュ―————— バン ババン バン

シュ〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ボボン ボボン

バンボバンボバンボバン

パッパッパッパッパ シュ〜〜〜〜ババン

パッポッ パッポッ パッポッ 

ヒュ————————ドバン ドバンドバン

ヒュ〜〜〜〜〜〜〜〜ドン ババンバ ドンドン パバンバ

ヒュ〜〜〜 ポン

ヒュ〜〜〜〜ポン ピュピュピュピュ ドバンドバン

ポパ ポパ ポパ ポパ バン バン パン

ポッポッポッポッポッポッポ ドンドンドンドンドッパーーーン

ボッパ————ン ボボンボン

ボボンボンボンボン シューーーボボン

 

ソラ ソラ ナカナイデ

アオイ アオイ ソ ラ アオイ アオイ ウ ミ

ナカイデ ナカナイデ モ ウ ナカナイデ ソラ ホシ ウミ

ドンドドンド ドンドンドン ドドンド ドン ドドンド ドン

パッパッパッパッパッパッパ ドン パパン ババン

シュ〜〜〜〜〜〜ボン!

ボンボボンボボン ボンボボンボ ボン

シュ〜〜〜〜〜〜〜ボン!

 

              御霊に  2011.8.11

 

 

長田弘詩集

2011/08/04

長田弘詩集

いい詩を読むとこころが洗われる。
たったそれだけで、詩を読み詩を書くようになった。
まさか自分が詩を書くなんておもってもみなかったけど、いつの間にかそうなった。
たくさんの詩集を読みたくさんの詩人の息づかいにふれ、そのときどきで詩は偏屈になったり、カッコしいになったりで、人生とおんなじデコボコ。
そんな中で長田弘さんの詩はふっとわたしを戒めてくれる。どんな小さな一遍も、また際限なくひろがる散文詩も、川をわったってきた風のようにひんやりと心地よい。
本屋さんでふっと手がのびてしまった。いつも今を生きている詩人。

ハルキ文庫の中の「長田弘詩集」で、ちょっとばかりおどろいたのは食べ物の詩がたくさん載っていること。「キャラメルクリームのつくりかた」なんていうのもある。こんな楽しい詩を書くんだとおどろいた。そしてもっともっと好きになってしまった。「ライ麦の話」というのもいい。後の数行だけ。

・ ・・みえない根のおどろくべき力にささえられて、
はじめてたった一本のライ麦が育つ。/何のために?/
ただ、ゆたかに、刈りとられるために。

なんておおきな詩なのだろう。それに触発されたわけではないが、「すぐり」の詩を書いた。とても小さな詩だ。

すぐり

   庭のすぐり

          うべ きょうこ 

庭に すぐりを うえました
実って はじめて しりました
こずかいもって だがしやで
すぐりを かって たべたこと

  すぐりは どこにも あったけど

  うちの 庭には なかったよ


かくれんぼの 庭さきで

すぐりが あかく 実ってて
わたしを じっと みてたけど
ぱくんとたべちゃっ いけないの

  だって そこは よその庭
  うちの すぐりじゃ ないんだもん


あかい すぐり、あおい すぐり、

まるい すぐり、すっぱい すぐり、
あか あお まんまる みんなすき
あか あお まんまる みんなすき 

  すぐりの 庭の かくれんぼ

  すっぱい あじの かくれんぼ

  

すぐり

思い出の解体祭

2011/06/27

家 そこに詰まった 家族の日々

家 そこに刻まれた 子供の歴史

家 そこは憩であり 修羅であり

家 目覚めて そして 眠るところ

家 喜びも 悲しみも 壁に滲み

家 長い年月を 雨風から守り

家 押し寄せる 世事にも耐え

家 ただ黙って 微笑んで

家 小さな家族を ぬくもりで包んでくれた

家 あなたが守ってくれて

子供たちは 大きくなった

家 泣きたくなる ところ

家 すっぽんぽん の わたしがいて

家 その下で支える精霊の土 生命のバトン

くりかえし くりかえし・・・・


あじさい

滝沢の家の解体祭でした

最後の晩祭

家族そろって最後の晩餐

玄関おかえりの玄関

玄関いってらっしゃいの玄関

さくらんぼの木生協で買ったサクランボ苗木は大きくなり

鈴なりのサクランボは小鳥の楽園に・・

公園公園でいつも遊び

バラ無事に育ってくれた子ら

おはらい若いふたりが

おきよめ未来にむけ巣立つ

あたらしき あしたには、あたらしき 風が・・・

 

検索
コメントの書き方
コメントの書き方がわからない時は
こちらをご覧下さい。