‘野田村、被災地の今’ カテゴリーのアーカイブ

3.11絵本プロジェクトいわてのお話会

2014/11/20

先週の日曜日、そうあの雪の降った次の日、絵本プロジェクトのみなさんが、野田村にやってきてくれました。遠いところいつも、ありがとうございます。

おなじみの面々が10人も来て、お話とたのしいお遊びをしてくれました。

お礼をこめて、ちょっとだけご紹介しますね。

かえるかわいいカエルさんたち

おしまい沼田さんの「おしまい」の話

おかし子どもたちに大人気のお菓子の家

たのしい、たのしい、お話を、ありがとうございます。また、来てね!!

絵本カーはこの日もたくさんの本を、みんなにくれましたよ。わたしは詩集の本をごっそりもらっちゃいました。感謝です!!

家が立つ津波跡に新しい家が建ち始めました。

おつかれさま〜!!

さいご

巨大な防潮堤

2014/10/28

歯医者さんの待合室でAERAを読むのを楽しみにしている。

10/13号福岡伸一のコラムeyesに、目が釘付けになった。

3、11の津波で甚大な被害を受けた野田村。この辺にはめずらしく広い砂浜が自慢で村の人の憩いの場であった。その砂浜が消えていく。海辺に深い傷のような大きな防潮堤がきずかれようとしている。

この3年、足しげく海辺に通い、海の間際にそそり立っていく防潮堤をため息をつきながら見て来た。あの大きな津波がきたから仕方ないのかと面映いおもいでいっぱいだった。

十府が浦の砂浜は、かけがえのない場所。河口沿いの手つかずの森には豊かな自然と名もない小鳥たちの住処があった。そこに行けばいっとき私のような者でも無垢な自分に戻ることができた。何千年何万年とつづいてきた自然のいのちの営み。それが消えて行くことへの恐れと哀しみ。

あの高い防潮堤は築かれなければならないのだろうか。その問いがそのコラムに凝縮されていた。私だけではなかったのだと思ったのと同時に、ならば何故との疑問がのこる。 復興は慎重にしなければならない。次世代のためにその先の先のために。

葉

レクイエムプロジェクト北いわて

2014/07/31

今年1月「村の子」と「三陸鉄道が行く」が出来上がり、コンサートの練習が本格化しました。といってもどうなるのかまったくわからない状態での出発。

にもかかわらず、久慈からの参加者が日を追って増えていき、練習は楽しく熱をおびていきました。4月になって盛岡の友人3人が片道2時間半かけて通い、八戸からもひとり、それはそれは楽しい歌のレッスンで、ついついわたしまで一緒になって歌うことに。

7月27日、遠くは兵庫県佐用町から神戸から東京、仙台から有志約30名が加わり沿線各地のコーラス隊とで80名の合唱がおこなわれました。

津波でぼっこぼこに歪んだ野田村体育館はきれいにリホームされ、その場での演奏は感慨深いものがありました。

450名の観客に何をあたえられたかはわかりません。けれども目に涙をためて喜んでくれたおばさん、おじいさん、そして恩師や村の人たち。上田先生のすばらしい曲がみんなに感動をくれました。

しん

ガクヤ楽屋風景

れれコーラスけやき本番前の練習

 

たいいく会場の体育館

楽屋2きれいにお化粧して・・

本番です。 80名の歌声が体育館に響き渡りました。観客とコーラス隊がひとつなったとおもったのはわたしだけでしょうか。

何かが伝わり、何かがかえってくる。とてもだいじなものが・・ ふんわりと歌にのって。

ここうさあ、交流会で〜す!

残った松が一本見える。ここに数百軒の家並みがありました。

空が透けるように青い。

海が

 

 

 

 

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