今、親に何を聴き、子に何を伝えるか

3月31日の写真

巣子でずっとお世話になっていた歯医者さんのM先生から、こんなメールがきました。

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以下、ウイキペディアの明治以降の三陸地震(津波)の記載。

○ 明治三陸地震(明治29年/1896)
○ 昭和三陸地震(昭和8年/1933)
○ 東北地方太平洋沖地震(平成23年/2011) 〜東日本大震災(04・01)

明治以降、大正を除く和暦毎の津波が不気味ですが、
和暦が「三代(爺婆ー父母ー子供)」とほぼ同じ時間帯で出来ている。
じゃ、今、親(爺婆)に何を聴き、子に何を伝えるか...
明治の人達、昭和初期の人達はどうやって復興したンでしょうね?
明治29年って、電気なし、電話なし、自動車なし ですよ!?

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昭和三陸地震のとき私の母は14歳です。その津波のことをときおり母は口にしていました。

愛宕山に逃げたことや、愛宕山の下まで波がきたことや、タンスや木がながれてきたことを。そのときの津波は真夜中の津波だったこと。真っ暗な中をどうやって逃げたのでしょうね。

そして、助かった人々はどのようにして復興をとげたのか?

その頃トラックがあったとは想像できないし、人力や馬車で、がれきを片付けたのでしょう。そういえば、父は丸太をひとりで担ぎ上げていましたよ。(むかしの人は力があった。それに知識は?でも、知恵はたくさんもっていた)

外部からのボランティアはもちろん望むべくもなく、役場まかせでもなかったはずです。

村人が自らの手で、寡黙にもくもくと自然の脅威と対峙したのではないでしょうか。強い者も、弱い者も、もてる力を出し合って、ひとつ一つを積み上げてきた。

いま、たくさんの物資が被災地に届けられています。物資が回らない孤立せざる得ない被災地の方には申し訳ないのですが、野田村は物資の面では恵まれているようです。企業、団体、個人から、食べ物や衣類や靴や化粧品まで届いているようです。ほんとうに有り難いことです。

もちろん、配分過程で、こまごまとした足りないものは多々あるでしょう。けれども、逐一そこで留まるのではなく、御自らが立ち上がるそのときがそろそろ近づいてきているのではないでしょうか。

あしたで一ヶ月。悲しみはつきないけれど、被災された方々が一刻もはやく個々の日常を取り戻し、心しずまる日がきますことを、こころより祈ります。そして、亡くなった方々の哀しみを胸に、ご冥福をお祈り申し上げます。

石垣と川

 

 

 

コメント / トラックバック 4 件

  1. マッケンジー より:

    明治と昭和の三陸地震の間は、たった40年足らずなんですね。
    人力や馬車での片づけを思うと気が遠くなりそうです。今被災されている人たちも我慢強いですが、昔の人は、さらに力強かったのか...当時の復興への道のりの遠さと険しさは想像するに余りあります。
    九戸村からのおにぎりの話を友人にすると、彼女のお母さんも野田村などの被災地におにぎりを作りに行ったそうです。私たちが、いただいて帰ったおにぎりは、彼女のお母さんたちがにぎってくれたものかもしれません。

  2. 匿名 より:

    先日炊き出しに行かせていただいた者です。

    実は次回も炊き出しに行かせていく予定なんですが、その際、ベビー用品を支援させていただいたいと思ってます。

    ご迷惑でなければ・・・

    何が必要なのか分かれば支援したいという方もたくさんいますので、迷惑じゃなければ一度連絡いただけると思います。

  3. 京コ より:

    お疲れさまでした。いろんな形でいろんな人が優しい支援をしてくれているんですね。
    これから、少しずつ少しずつ復興へとむかっていくことでしょう。
    一人ひとりの力はほんとうにささやかでしかないけれど、時間が前に前にと進め
    てくれることを祈って・・・。
    おにぎり、ごちそうさまでした。

  4. 京コ より:

    匿名 さまへ
    再度の炊き出し、ほんとうにありがとうございます。
    被災者の方はどんなにかこころ強くおもっていることでしょうか。
    ご支援の状況については、時間の経過とともに変動があるようですので、必要なときにはブログにのせようと思っています。現在、集まった物資を個別の要望にそって袋詰めしているようです。わかりしだいご連絡したいとおもいますので、HPのトップ画面のポストにメールを入れてくださると助かります。お気遣いに感謝いたします。

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