「瓦礫の中から言葉を」辺見庸

伯母が亡くなった。亡くなった当日(4月17日)、わたしは眼に漂白剤が飛び散って入り、いままさに危篤状態の伯母の死に目に会うこともなく同じ病院の同じ階の眼科の寝台の上で、ダーダーと水を眼にかけられていた。

「最悪の場合失明」医者にそういわれた。

眼の表面はぼろぼろで最悪と最初にはなった医者の言葉に動転した。よもやそれが失明と直結するとは。眼はまっ赤で黒目は緑色に変色していた。

翌朝、おそるおそる眼を開ける。左目を手でふさぎ、右目がみえるかどうか確かめる。下半分がぼやっと霞むが視力はある。つぎの日もまた確かめる。霞んではいるが見えることは見える。眼の緑が薄らいでいる。そんな中で納棺をし、火葬をおえ、葬儀を終えた。

伯母は89歳。100まで生きるだろうとみんな思っていた。津波で一階が波をかぶり、新築の着工が数日後にせまっていた。友人知人のいる住み慣れたあの場所に帰って、好きなことをして好きなようにくらしたいと切望していた。それもあとすこしだったのに。

どうしても辺見庸の本が読みたかった。2冊さがしてもらったが1冊しか手に入らなかった。きのうと今日で読み終えた。震災後やっとたどりついた言葉の真実。どこかなにか全てのことに違和感を感じていた。1年を過ぎて、なんだろうこの空疎感は。そしてこの空疎感をどうつかめばいいのだろう。

「瓦礫の中から言葉を」辺見庸、NHK出版新書。うわべのひらひらの言葉からはるかにとおいこの本は、「ごまかすんじゃないよ」とそう語りかけてくる。

 

 

コメント / トラックバック 1 件

  1. 宗春 より:

    目が大事に至らなくて、本当に
    よかったですね。読書が出来た様ですので、
    安心しました。

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