‘絵本を胸に本を手に’ カテゴリーのアーカイブ

スズキコージ・サヨナラゲンパツ!グッバイ東京!展

2011/12/16

スズキコージさんの「グッバイ東京展」が新宿のぎゃらりーゑいじうで開かれています。12/13〜25日まで

タイトルどおり、グッバイ東京です。恒例のというか、その場描き干支絵(辰)が見られそうです。

迫力ある大画面は見応えがありんすよ。見に行ってくださーい!

わたしは、ざんねんなことにいけません・・・

スズキコージさんの絵の奇想天外さはご本人そのもの。

はじめての詩集「よいお天気の日に」いらい、なんどかお会いすることがあり、そのたびにびっくりはっくり、その人間性にぞっこんです。

右「よいお天気の日に」

絵本そのもの、どこにもえらぶったところのないとってもやさしいひとです。

こういう人から生まれる絵本をわたしはこよなく愛します!みなさんも、ぜひ会いに行ってくださいね。

プレゼンでした!

村上春樹・最初に読む本は?

2011/10/27

という質問が巣子の歯医者さん、三浦先生からきました。巣子時代のわたしが通っていた歯医者さんです。当時は本の話なんかしないで、先生お得意のオシラサマの話など民話の話をしてましたよね。

先生はわたしのブログを見てあまりの村上好きに、ひとつ読んでみようか、という気になったらしいのです。お嬢ちゃんの本棚に村上本があったらしく余計そんな気になったのでしょう。

そんで、一番すすめたい本といわれてはたと困ってしまったわたしです。まんず、めったなことでは人様に本を薦めません。環境も感覚も捉え方も千差万別みなちがうからです。わたしの本選びは、まさに神業といいましょうか本能的に新しく出会うべき本にすっと手がのびるというかんじです。本に導かれるといいましょうか、そんな感じ。ほとんど狂いなく当たりです。まあ、いつも本屋を巡っているのでめざとく新しい本がわかるというのが正解でしょうが。

以上えらそうに大層なことを書いたまま、風邪をひいてダウン。

治ったかなとおもったらまたぶり返して、かれこれ2週間にもなりますかいな。珍しいことになにもしたくない。なにも考えたくない。ただからだを休めていたいだけ。それで「そうか。そうか。あんた疲れっちまったのかい」と何もしないようにしていたんですよ。なにもしないけど、なんか頭はさえない。さえないうえに、気力までが消えていくようなかんじ。

そんなかんじで、ゴホゴホついに声まで嗄れてきて、おばあさんみたいになってきて、そのうちこうなっちゃうのかと思うとますます・・・やばいやばいというかんじの2週間でした。

身体が弱ると心までも弱るんですね。くわばらくわばらです。今日はすこぶる(とまではいかないけど)爽快です。今日の空みたい。ちょっとクールな青空。

 

さて、村上春樹ですが、先日毎日新聞に「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」の書評がでてました。(おや、わたしより遅いやんけ・・)「村上ラジオ」とかエッセイはどれも気楽に読めて100倍お得という感じです。「遠い太鼓」もし、暇があったら読んでくださいね。この本は村上文学がどのようにしてできていったのかがリアルタイムでわかります。「ダンス・ダンス・ダンス」や「ノルウエイの森」が、この紀行文と平行して書かれていったのです。

あと、初期の短編の「カンガルー日和」。そして、中期の長編「国境の南、太陽の西」。こんなところが私のお薦めです。もちろん、独断と偏見ですよ。

 

 

村上ラヂオ2「おおきなかぶ、むずかしいアボガド」村上春樹

2011/09/27

 

お彼岸で、お墓参りをしました。新しいジジのお墓と、となりの村にある実家のお墓参り。娘夫婦と息子と夫とわたしで。台風あとの秋晴れでした。

むこうの鳥居のあるお山に栗の実がみごとになっていて、帰りしな、みんなで栗の木の下に立って栗の実を見上げました。いちばんおちゃめな娘が長い棒をもってきて「えい!、やー!」と振ると、みごと命中。おもいもかけない栗拾いに、つかの間の時間をついやし、どんぶり一杯の栗を拾い、家に帰って煮て仏壇に上げました。

 

台風あとの久慈は、あちこちで崖崩れがありました。いまも工事中です。

倒れた樹木や、崩れ落ちた土砂が無惨なすがたを表しています。長雨で飽和状態のところに台風の豪雨がきたので、地盤が悲鳴をあげたのですよね。

無惨に折れた樹木を見て、人も時にそれと同じようなことが起きたりする。理不尽で容赦のないものが人生の至る所で潜んでいる。村上春樹は、そんなことを言っているのではないか。それで、キャッチャーやセンチネルが必要なのだと。

 

カオスの淵に呑み込まれないように、崖っぷちに立って毎日数センチずつじりじりと押し戻す仕事。社会的敬意も向けられず、賃金も払われず、達成感があるわけでもない。けれども、誰かが黙ってこの「雪かき仕事」をしていないと人間的秩序は崩壊してしまう。

 村上春樹はおそらく青年期のどこかの段階で、自分の仕事が「センチネル」あるいは「キャッチャー」あるいは「ナイト・ウオッチマン」であることをおぼろげに感知したのだ。

 仕事はきちんとまじめにやりましょう。衣食住は生活の基本です。家族は大切に。ことばづかいはていねいに。

 というのが村上文学の「教訓」である。

ともあれ、私たちの平凡な日常そのものが宇宙論的なドラマの現場なのだということを実感させてくれるからこそ、人々は村上春樹を読むと、少し元気になって、お掃除したりアイロンかけをしたり、友だちに電話したりするのである。それはとてもとてもたいせつなことだと私は思う。(「村上春樹にご用心」内田樹から)

なんか先に結論がでちゃったという感じですが、ああ、そうかと、こころから納得しませんか。ずーっと村上春樹を好きでずーと読んでいて、なんでだろうな、こんなに好きなのという問いが、ラーメンを食べないというところだけ違うと豪語(言い過ぎかな)する内田樹の解析で、麩におちたのです。ほんとに。

村上春樹のエッセイは小説と同じぐらい大好き。最新刊の「おおきなかぶ、むずかしいアボガド」(マガジンハウス)を夏のさかりに買って読んだ。小説にくらべて、お気楽などうでもいいようなことが書いてあると本人も言っているが、それがちとちがうんだなあ。お気楽な中にキラキラと宝石みたいな原石がきらめく。それが小説では得られないより接点の近いものだったりすると、ちょっと幸せどころか、う〜んと幸せをもらったりする。だから、いつまでたっても村上春樹を読みたくなっちゃうんです。ほんと困ったもんです。こんどの本で、新しい発見がいくつかありました。

日本文学をあまり読まないという村上さんですが、最近は太宰治を朗読で聴いているそうです。わたしは朗読なら、もっぱら藤沢周平と向田邦子を聴いてますけどね。

あと、村上さんは、手紙とか日記が書けないそうです。わたしは気になってついついあちこちに手紙書いちゃうんだけど、これってよくないのかなあ? やめようかな。

そして、いままであまり触れてなかったけど、「十代の頃は本がなにより好きだった。/紙に活字が印刷してあれば、何だって読み、各種の文学全集を片端から読破し、中学高校時代を通して、僕よりたくさん本を読む人に巡り会ったことがない。」と書いてあって、やっぱりそうだったのかと思った。でも作家になってからは、昔のようにばったばったと読まないそうだ。う〜ん、わたしはまだばったばったと本を読みあさってるからだめなんだなあ。はやく大人にならなくちゃ。(?)

ベネチアで小泉今日子。無傷で人生をくぐり抜けることなんて誰にもできない。でもそのたびにそこには特別の音楽があった。村上さんも小泉今日子聴いたんですね。ちょっとびっくり。でもうれしい。

そう、一時期、わたしは音楽を聴くのを忘れていた時期があった、何年も。それを気づかせてくれたのは妹だった。そのときカセットから流れてきた音楽は身体中をカタコトと鳴らせてぐるぐると体中を巡りめぐったけ。あれは来杉たかおだったかな。音楽は身体も心も緩ましてくれますね。みなさん、音楽聴いて、ゆるりしましょう。あるいは、本を読んでゆるりしましょう。

最後にもう一度。

仕事はきちんとやりましょう。毎日顔を洗いましょう。お掃除せっせとしましょうね。

そして、どんなことにも、深刻になりすぎないようにしましょう。

村上さん、どうもありがとう!

 

 

 

 

 

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