‘食育農’ カテゴリーのアーカイブ

かぼちゃとぶどうの収穫

2011/09/19

雨降りで〜す!

ここんとこ雨、多いですね。刻々と秋が寄せてきて、いつの間にか紅葉がはじまり、そしていつの間にか・・・。秋じまいがいそがしい季節となりました。

きのうは小雨の中、かぼちゃを穫りました。小さいのもあるけど、そろそろ限度かなと思って。9コだけど、もう3コぐらいは穫って食べたりあげたりしたんで、やっぱり12コってとこかな。自然に出てきて、勝手になってくれたんで、有り難きかな、かぼちゃくんでーす。

去年苗木で植えたブドウが、ほら! すごいでしょう。こんなにぶどうがなるなんて、びっくり。いま、食べごろです。あまーく、ちょっぴり酸っぱいです。少しずつ穫って大事に食べます。

ところで、二日ほど家を空けてる間に東京巣鴨スタジオフォーの西島さんからCDが届いてました。いま聴きながらパソコンにむかってます。とっても快調なジャズです。わたしの詩「はんの木ははんの木」(西島さん作曲)も入っていて、ちょっとじわーんと胸があつくなるような曲になっています。とってもいい曲です。だれか歌ってくれないかしら・・。

 豆つぶ畠の枝豆で〜す!

ここ数日、村上春樹を読んでいて、ちょっと気になるところがあり、デビュー作の「風の歌を聴け」を読み返したり、内田本を読み返したりしてます。次は、村上春樹を書きたいです。でも、今週はちょっと忙しいので、書けるかなあ?

秋大根の種まき&梅干し

2011/09/04

もう寝る時間。12時回るとお肌に悪いしトトトト次の日なんとな〜く調子悪いし・・・でも、きょうの畠仕事、書きますね!

9月3日(土)午前中、外仕事。庭の豆つぶ畠です。エ〜、去年までは山の大きな畠で雑穀を男2人、ときどきマドンナ+でやっていた豆つぶ畠でしたが、足掛け10年(ひとり畠含み)でピリオド。今おもえば、ほんとによくやったなあ・・!!しみじみおもいま〜す。 去年なんか病気の舅の介護しながら、青色吐息でなんとかやりとおしたけど、限界でした。エネルギー使い果たしたという感じで。今は庭の畠で、手一杯です。いろいろ失敗だらけの人生だけど、畠やってみて農業っていっぱい問題をふくんでいるんだなあ〜って。素人がちょっと手をだして、どうにかなることではないんですね。うう〜ん!問題山積み。

きゅうりきゅうりはまだまだ穫れま〜す。なんにもしなくてもこのとおり。

さて、山の畠の仲間のTさんから去年ニンニクをもらいました。そして、はじめて植えてみました。いったいいつ掘り出すのかわかんなかったけど、きょう掘ってみました。ちょっと小さいけど、まあ、これで十分ですね。

じゃがいものあとに、遅ればせの大根の種まきです。菜っ葉をちょっと蒔いて、これで今年の種まき終了でーす。よかった〜!

そして例の梅干しですが、こちらも一件落着です!

8月は長雨がつづき、晴れる日をまっていたのですが、ちょうど、のだ祭りの日からりと晴れました。真夏の熱い日差しにはちと弱かったけど、ここぞとばかり梅を干しました。うんよく三日間お日さまにあてて、梅干し完成で〜す!! やれやれ。

ではその様子を。

(梅干し作り)

梅シソは8/7に入れ、こんなふうに赤くなり・・

いい色でしょ!
三日目三日間干すと、しわしわになって・・

シソも干して

瓶も梅酢もお日様にあて・・・(上の写真)

瓶にもどす梅とシソをもどし冷暗所に・・

7/30 これで4キロの梅

8/3 梅酢があがってくる

山盛りだった梅も3分の1ぐらいになるんですね。

かぼちゃくん

2011/08/30

ひまわり

かぼちゃくんが、畠を占領し、隣のフェンスをはいのぼって、あっちこっちに

ぽっこり、ぽっこり、かぼっちゃをならしてるんですよ。

かぼちゃくん

それが、しろいかぼちゃと、緑のかぼちゃくんで、はいのぼったフェンスの上で、ついに手をつなぎました。おそるべし、かぼちゃくん。

かぼちゃくん左

右からのびたかぼちゃくん。
かぼちゃくん左左から這い上がったかぼちゃくん。
 きょうの朝ついに、のびた手がつながった。

さて、きのうは野田村役場に義援金を届けました。

祭りのイベントで、著書「リンダリンだがとまらない」「どんぐりだんご」「ほしがき」の本と、急遽作ったポストカードを販売。善意あるやさしい方々が買ってくれた全額を図書館再建に役立ててもらおうと思ったのです。(ほんとはとっても苦手で、だまって家にいるほうが好きなんだけど、意を決して、がんばったのです)

がんばったかいがあってというか、やさしい方々のおかげで本数冊とポストカード40枚ほどが売れ、ささやかな金額に自分の小遣いをたして義援金としました。

これまで物資を届けたり、仕分けのボランティアに行ったりで、しつこくお世話になった役場の小谷地さん、いやな顔もせずにいつもにこやかに対応してくれて、どんなに助かったかしれません。本当にありがとうございました。

これで、まずは、ひとつの区切りとします。

思えば10年のボランティア歴をもつわたしですが(忘れてて今思いだした)心のケアの良い面も悪い面も、またボランティアの傲慢と偽善も、ちっとは味わいつくしたものとして、被災地への支援は慎重にならざるえませんでした。それでも、自分の生まれた村がことごとく奪い去られた光景を前に、なにもしないわけにはいきませんでした。それがさしさわりのない仕分けボランティアとなったのです。もっとできることもあったのかもしれませんが、それがいいのかわるいのかの判断は、ひじょうにむずかしく単純にはきめられません。これをやった、あれをやったで、パチパチというわけにはいかないと、わたしは思っています。

毎日新聞に「放射能とケガレ」として、精神科医の斉藤環氏が京都の送り火の一連の松をめぐる騒動に、このように苦言を呈しています。「被災地の「こころ」にかかわるものには、善意を発揮した「責任」が生ずる。覚悟と根気なしに「こころ」にかかわるべきではない。後腐れのない善意を発揮したい人たち向けには、「義援金」という方法がある。」としている。(くわしくは新聞読んでね)

祭りのなか、ご主人をなくされたまだ若い婦人に会いました。小さな額に入れた写真を肌身離さず持ち歩いていました。まだ、悲しみからぬけだしていない目をしていました。その後ろ姿をおいながら、ふと、これから先の生計は・・・、と心配がよぎりました。

働く場所がない田舎。農業で機械のように、めっちゃくっちゃに働いても生計の10分の1にもならない田舎。個人の自助努力がアワとなる田舎。働く場所があって生計がたつ賃金がもらえたら、希望の光りもすこしは見えてくるのに。

田舎に光りをあててください。どんな人でも、人間らしい暮らしが成り立つように。社会のシステムの中に過疎の村を忘れずに組み入れてください。

とまあ、そんなことをいっても、どこにもとどかないのよね。でも、あきらめずにそう祈るしかない。

かぼちゃくん

話はもどって、そんなこんなで、ことしの豆つぶ畠はかぼちゃくんの好き放題になっています。いったいいくつのかぼちゃくんができるのか、とんとお楽しみに。

秋のバラ庭には、ふたたびバラが・・

 

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