‘絵本を胸に本を手に’ カテゴリーのアーカイブ

吉野弘哀悼

2014/01/21

きのう友人からのメールで吉野弘が亡くなったことを知った。今朝の新聞に87歳で亡くなった吉野弘を悼む記事が載っている。

大好きな詩人がまたひとりこの世から去っていく。たくさんのすぐれた人の胸を打つ詩をのこして。

吉野弘の詩は、ごくふつうの人々のくらしの何気なさの中にひそむ断片を深い洞察と愛情でくっきりと浮かび上がらせる。その透明なやさしさは東北人の眼差しであり鋭さでもあろう。詩は人なり。「奈々子に」を。全文は長いので好きなフレーズだけ。

「奈々子に」から

唐突だが/奈々子/お父さんは お前に/多くを期待しないだろう。/ひとが/ほかからの期待に応えようとして/どんなに/自分を駄目にしてしまうか/お父さんは はっきり/知ってしまったから。//  お父さんが/お前にあげたいものは/健康と/自分を愛する心だ。//ひとが/ひとでなくなるのは/自分を愛することをやめるときだ。//自分を愛することをやめるとき/ひとは/他人を愛することをやめ/世界を見失ってしまう。//自分があるとき/他人があり/世界がある。/・・・・

お前にあげたいものは/香りのよい健康と/かちとるにむずかしく/はぐくむにむずかしい/自分を愛する心だ。    「消息」より

コスモス

 

養老訓「手入れという思想」

2014/01/11

14/1/1ばら新しい年が始まりました。

あけましておめでとうございます!

正月そうそう、ひとつ歳をとるので、景気づけに、ためになる本を数冊買って読みます。

めずらしく養老さん(養老孟司)の特別講義「手入れという思想」があったのでわーいわーいと喜び勇んで読んだんよ。うい〜ん。やっぱり、よかったわ〜ん。

養老さんはここのところ「都市化」ということをよく言ってますね。「脳化」ともいいますが。その中で、こんなふうにいっています。

一番いいのは何か。先に結論を言っておきますと田舎と都会が同居できることだと私は思ってます。日本の最大の問題は、田舎が消えて都会ばかりになっていることです。

確かに。なるほど。そうなのか。いくつになっても知らないことを知るって楽しいっす。

毎年、誕生日にバラの花をもらいます。とびあがって喜びたくなるぐらいきれいなバラがどっさり届きます。こんな粋な計らいを誰がするんでしょうね。おしえません。バラはひと月近くもちます。そのあとドライフラワーにして1年間屋根裏の仕事部屋にかざります。

でも、12年間もつづいたバラの贈り物もこれが最後となりそうです。ほんとうに、ありがとう。ありがとう。このバラでどんなに勇気づけられたか。ありがとう。

14/1/1ばら2

 

 

「たしなみについて」白州正子

2013/12/09

ほんのちょっと前に白州正子がまだ若かった頃の著作「韋駄天夫人」を再度読み返し、やっぱりこの人すごいなあと思う。街にでて今日は何冊かゲットしようと本屋さんでうろついていたら、白州正子の新しい新書が目にとびこんできた。

「た し な み に ついて」河手書房新書

わたし失敗しないんでという決め台詞のように、本選びには失敗しない。まず、最初のページを開いて数行読む。すっとひきこまれたら、次にぱらぱらっと開いて目にとびこんできた一行を読む、その一行にはっとするような言葉が埋め込まれていたらもう否応無く買ってしまう。

まあ、ありとあらゆるところで失敗だらけのこんこんちきなのだが、本だけはすっとわたしの前に立ち現れてくれる。今回はまたまたいい本に出会った。ちなみにこの本がいつ書かれたものかと調べたら1948年38歳4月とある。その年の11月に上記の「韋駄天夫人」を書いている。

1946年(昭和21年)白州正子小林秀雄、青山二郎と出会う。とあるから、美についても文学についてもほんのかけだしの時期。なんという才気。まったく古さを感じないし、目をみはる新しさがある。そしてこの人の深いところの人間にたいするやさしさがにじんでいるのに気づく。

 

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