ものが言えなくなるということ

何らかの圧力によってものが言えなくなるということは、日常茶判事で、いつもそんなことにあっぷあっぷしてきた身からすれば、今回の「特定秘密保護法案」は根こそぎ何かが失われるようで怖い。それで、こんな田舎にいる私でも世の中がどうなるのか日本がどこに進もうとしているのか心配でたまらない。現にものも言えず、ただ閉じこもっている若者やすでに壮年になりかけている人たち(田舎にはたくさんいる)の人生を考えると、なんともいたたまれない。自分さえよければいいという、今さえよければいいという、そんな殺伐たる世の中でいいはずがない。 生きるとは我が身がこの地上に実をおとすということ。土にだかれ、風にふかれ、日をあびて日々成長し自分の花を咲かせること。どんな小さな花でも、かけがえがないし尊厳がある、のに。

こころある人は「内田樹の研究室」をのぞいてみてくださいね。

http://blog.tatsuru.com/

2013.12.04

12月3日の「特定秘密保護法案に反対する学者の会」記者会見

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