‘2011/03’ カテゴリーのアーカイブ

被災地の今1

2011/03/27

きょうも(27日)雪がふったり、曇ったりの天気です。

私と友だちのチームは今週は、支援ボランティアを延期しました。

午後うちの者が泥に流された写真をとっておいたことを思い出し、現場に行ってきました。

少しずつ片付いてはいるというものの、まだひどい惨状です。

こみあげてくるもので、胸がくるしくなります。

役場にいくと知り合いがいました。何十年かぶりの再会。役場にはまだ何人かの知り合いがいます。無事でよかったね、というと昔の笑顔でわらいました。役場も津波に襲われ、パソコン機器は不能。想像できないぐらいの疲労を重ねて、ここを乗り切っていかなければならないのです。

同級生が亡くなりました。合掌。

失われた町並みや、家々、そこに居た人々をおもうと一歩も前に進めないような、そんな気持ちに襲われます。

この村で生まれ、育ち、ここを唯一のよりどころとしてきた人たちは、私の何倍もの、喪失感の中にいるのでしょう。

希望や勇気は、まだまだ先になりそうです。

一階を壊滅的に破壊された野田郵便局。25日(金)臨時郵便局が、避難所にできました。少しずつ、少しずつ動いています。

がれき撤去に久慈工業高校の生徒さんたち

2011/03/26

雪の朝です。だいぶ積もりました。

明日、支援ボランティアに入ろうとおもっていましたが、友人が遠くから来るので、どうかなと心配なところです。

確認のため、野田村役場に電話。今日は新規のボランティアについては中止ということです。

現在、がれき撤去作業のボランティアはチームのみの受付で、きのうは120人で、平均して一日100人ぐらいが来て作業をしてくれているそうです。

また、野田村にある久慈工業高校の生徒さんたちが、がれき撤去作業に奮闘しています。さわやかな笑顔に、まわりの人たちはどんなにか勇気づけられるでしょう。

こんなときこそ、若人の力が求められるとき。困難な状況に、身をもって立ち向かう経験が、将来を未来を、切り開くちからになることでしょう。

きのう、工業高校に出向いていた者が感心して言っていました。

「あいさつは、いいし、りっぱだっけ!」と。

拍手を送りたいと思います。

ボランティアのみなさん、ありがとうございます!

 

『人はなぜ「美しい」がわかるか』橋本治

2011/03/24

わたしの原風景が大震災の津波で、一瞬のうちに消えてしまった。

五感をふるにふくらませてくれた野田村の風景と風物。

 

高橋治の新しい新書を紹介しようと思っていた矢先震災に見舞われた。タイトルが若干、不謹慎なので、数年前に読んだ附箋いっぱいの、『人はなぜ「美しい」がわかるか』を紹介します。

とてもおもしろい本です。始めから終わりまで何遍も読み返してしまう本です。

これぞ、橋本治というキーワードがきらきらときらめいている本です。難しくないので、ぜひぜひ手にとって読んでください。

子どもを育てるとき、この本は一つのバイブルとなるでしょう。へたな子育ての本よりずっとためになる本です。若いお母さん、お父さん、ぜひ読んでね。

『人はなぜ「美しい」がわかるか』橋本治 ちくま新書

「美しい」は,直接的にはなんの役にもたたない発見です。直接的にはそうですが、しかし、「美しい」には重大な役割があります。それは、「自分とは直接に関わりのない他者」を発見することです。

「ものを作る」という作業は葛藤を不可避として、葛藤とはまた、「時間」の別名でもあります。「時間をかける」とはすなわち、「自分の都合」だけで生きてしまう人間の、「思い込み」という美しからぬ異物を取り去るための行為なのです。///機械化による大量生産は、ものを作る人間から、「ためらい」という時間を奪いました。ものを作りながら、「ためらい」という研磨剤でろくでもない「思い込み」を削り落とし、「完成=美しい」というゴールへ近づけるプロセスを排除してしまいました。

大切なものとはなにか? 大切なものを発見するためには、大切なものとつきあわなければならない。////「美しい」を教えたかったら、もっとちゃんと子供につきあってやればいいのにと、私は思うだけです。

 

 

 

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