大槌町へ

 

今日はあったかかったです。午後タイヤ交換に。帰り雨が振り出し、なにやら妖しい天気。いいタイミングでタイヤ交換できたみたいです。

 

ジジの一周忌をきのう済ませました。あれやこれやと、準備をして、ひととおりのことを済ませて、ほっ! です。

お葬式もその後のいろんなしきたりやらも、いろいろあって、なにかと大変なことなんですね。なかでも難解なのは、お寺さんのお布施。これがよくわからない。いろいろなので、いろいろですとは、いったいいかほどか? 禅問答みたいでした。

先週は名古屋から詩の編集者の水内喜久雄さんが来県。「リンダリンだがとまらない」(理論社)を世に送り出してくれた方です。ほかにもたくさんのアンソロジーを出してくれました。とってもお世話になっている編集者けん作家さんです。

盛岡から大槌町まで、ご案内しました。といっても娘の運転で。県南の被災地に足を踏み入れるのは始めてでした。

釜石の街中は瓦礫が片付いていないのに、とっても驚きました。まざまざと悲惨な状況が思い出され、胸が締めつけられました。信号も止まったままでした。

大きな町は、それだけ被害も大きく、復旧には時間がかかるのでしょうか。その悲惨な状況を目の当たりに生活をするのは、なかなかつらいものがありますでしょう。

北の小さなな村(野田村)とは、だいぶ違っていました。

 

釜石をぬけると、大槌町に入ります。大きな大きな被害のあった町。その爪痕は今も生々しく、3階建てのコンクリートの建物は気の抜けた亡霊のように立ちすくんでいました。目当てにしてたどり着いた学校には、だれもいません。

防波堤から山までの距離のなんと短いこと。そこに役場があり病院があり、交番があり、住民の暮らしがあったのです。波は疾風怒濤のごとく町をさらい、目の前の小高い山に、ぺったりとはりついていた先祖代々の無数のお墓は粉々に砕け散ったのです。

行方不明のままのお知り合いの方の自宅跡を探しあて、花を手向けた水内さん。遠路は、岸田衿子さんや谷川俊太郎さんや新川和江さんの楽しいエピソードをききながらの旅でした。

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